旧江戸城の国指定重要文化財の2つの門を360度VR撮影
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愛用のInsta360nanoをフル活用した妄想ダイスキOKstyleです!
先々月に日本武道館あたりをフラッとした時に、趣のある2つの門、田安門、清水門を360°画像を掲載しちゃいました(^^)撮影日:2017年7月
<清水門から内堀通りに行く>
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<早稲田通りから田安門に行く>
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【関連URL】
(千代田区観光協会サイト引用)
田安門【国指定重要文化財】
大田道灌時代、江戸城の合戦場はこのあたりであったといわれています。田安門は、寛永13年(1636)に建てられたと考えられ、昭和38年には解体修理が行われました。北面する高麗門とその西側に直交する渡櫓門からなる枡形門です。高麗門の扉の釣金具に製作に携わったと考えられる職人の名文があります。
田安門の辺りは,古くは「田安口」または「飯田口」ともいい,上州方面への道が通じていたといわれています。
門名の由来は、門内には田安台といって,はじめ百姓地で田安大明神があったので門名に称としたといわれています。江戸城造営後は北丸と称し,代官屋敷や大奥に仕えた女性の隠遁所となりました。有名な千姫や春日局、家康の側室で水戸頼房の准母英勝院の屋敷などもこの内にありました。
享保15年(1730)八代将軍吉宗の第二子宗武は,ここに一家を創立して田安家を興しました。宗武は、賀茂真淵に師事し、国学の造形には深いものがありした。宗武の子松平定信(白河楽翁)はここで生まれました。
現在田安門がある北の丸公園には,田安門から南北をつらぬくように西側一帯を田安家,東側一帯を清水家が所有していました。現在は田安門から北の丸公園へ常時出入りできます。清水門【国指定重要文化財】
寛永元年(1624)助役大名,浅野長晟により建てられた枡形の城門。扉釣具の銘には万治元年(1658)とあるが,これは江戸城の総曲輪の大工事を行ったついでにこの門を修復した年であると考えられています。
門名については,昔この辺りに清水が湧き出ていた、また、古くはこの辺りに清水寺があったことから、その名をとって清水門と称したともいわれています。
宝暦9年(1759)九代将軍家重の第二子重好をして,この門内に一家を創立させて門名にちなんで清水家と称しました。文久3年(1863)の本丸炎上の時には、将軍家茂と夫人親子(静寛院宮)は一時ここに移っていたといわれています。
・千代田区観光協会>観る>文化財・史跡>皇居周辺エリア
・環境省 日本武道館から旧江戸城清水門(雁木坂)へ
・環境省 皇居外苑 園内マップ(北の丸地区)